※1 「フクちゃん」で知られる横山隆一が昭和30年に興したプロダクション。家庭的ムードを漂わす作品が多い。代表作「ふくすけ」「ひょうたんすずめ」「おとぎの世界旅行」など。
※2 虫プロの第1作は昭和37年の映画「ある街角の物語」。TVでのアニメ番組のレギュラー放映としては、この「鉄腕アトム」が国産TVアニメ第1号といってよいだろう。たちまち人気が沸騰し、平均視聴率30%以上を叩き出した。虫プロのスタッフは当時、12名しかおらず、かなり厳しいスケジュールを強いられたが、その後も次々とヒット作を生み出した。「鉄腕アトム」の一本当たりのの直接制作費は、当初50万円〜75万円で引受けたとされるが、実際のところは持ち出し仕事となり、当時のお金で約270万円前後もかかったともいわれている。ほかの制作プロダクションが150万円程度の制作費だったというから、やはり全体的なレベルが高かったのもうなずける(ちなみに、当時の30分実写ドラマの制作費は、50万円強が精一杯だったという)。その後のキャラクターグッズの売上げが物凄く、充分に商売になったらしい。
※3 東映動画は、長編アニメ映画では、当時から「白蛇伝」等で評価は高かった。後年スタジオ・ジブリを旗揚げし、数々の名作を世に送り出す宮崎駿が、鉄腕アトムの始まった昭和38年に東映動画に入社した。後に、東京ムービー傘下のAプロ、そしてズイヨー映像(現・日本アニメーション)を経て、「スタジオジブリ」を高畑勲らと創設する事になる。以降の活躍ぶりはご存知の通り。
この「狼少年ケン」は、もちろんモノクロ作品だが、なんと黒色・白色のほか、濃度の異なる灰色の計7色だけの“彩色”で作られていたというから、驚きだ。
※4 この「ジャングル大帝」が、国内初のカラーTVアニメといわれている。番組スポンサーの“三菱電機”が、カラーテレビの普及に熱心だった事が大きく影響しているという。後年ヒットした、ディズニー・アニメ「ライオンキング」は、この作品をパクったともいわれている事からも分かる通り、その完成度の高さは絶品の一言。店主・Nも小学生当時に観た一人だが、その衝撃度は実に大きかった。
|